■AFTER 5:30■

 

   

「うーん!」
高耶が背伸びをすると、ベッドの足元の方にある小窓から青い空が見えた。
いや、正しくは夕焼けを目前にした最後の青だ。
その青を引き立たせるかのように、一筋の飛行機雲が飛んでいる。

寝返りを打つと、部屋の中は窓からの風で直江の書類が散乱していた。

ザマアミロ―。

高耶は心の中で舌を出した。枕もとの時計を見ると、5:30pm。
ポケットの携帯を開いても5:30を指している。

「あーあ、一日終わっちまったじゃねえかよ」

5月3日―憲法記念日。
机の上の卓上カレンダーには、祝日以外にもう一つ。

「直江の誕生日」

と高耶の字で書き込まれている。

「直江の奴、本当にムカツク」

うつ伏せになって高耶は足をパタパタさせてみた。
枕に顔を埋めるが、脳裏に浮かんでくるのは直江のことばかり。

せっかくの誕生日に、仕事を持ち込んだのは直江だった。
高耶の誕生日となると、是が非でも仕事はキャンセルするくせに
自分の誕生日となると、サッパリのようだ。

夕方までには片付けますから―。

仕事の完了メールを送るとか言って、高耶が待つ部屋を出てから20分程経過していた。

「もうとっくに夕方じゃねえかよ」
自分でも子供地味ているとは思うが、直江の誕生日を祝ってやりたいという自分の気持ちも
察して欲しかった。

「うー、もう帰ろうかな・・・」
そう呟いてぼんやりとしていると、ドアのノブを回す音が聞こえた。
直江だ。
腹が立って、高耶はうつ伏せのまま狸寝入りを決め込んだ。

「高耶さん?眠ってしまったんですか?」

んな訳ねーだろ馬鹿。

直江が謝るまでは起きてやるものか、と高耶は頑なに無視し続ける。

暫く聞き耳を立てててると、どうやら直江は散乱した書類をかき集めているらしかった。
机の引出しを開け閉めする音が聞こえて、それから―。



直江の動きが止まった。
何をしているのだろう?
いや、駄目だ。ここで起きたら奴の思うつぼだ。

すると
「おや。高耶さん珍しいGパンですね」
そう言いつつ、直江はベッドに腰掛ける。
千秋から奪ったビンテージものだった。
偶然にも「503」という製造ナンバーだか型ナンバーだかが入っている。

「高耶さん」
ふいに耳元で囁かれた。
「〜〜〜!」
それでも高耶は必死にこらえている。

あれ。諦めたかコイツ。
そう思った瞬間、ギシリ、とベッドがきしんだ。
めくれたTシャツからはみ出た腰の辺りに直江が触れてきた。

「・・・っ」
ヤベエ。
そう気づいたときには遅かった。
奴の左手は、もう背筋を辿ってGバンの中にもぐりこみ始めている。

「ちょっ、待て・・・っ」
思わず声を出してしまう。
また俺の負けだ。

直江の手は、既に尻の割れ目に伸びている。
一方、右手では前のファスナーを開けてしきりに撫でまわしてくる。

高耶は、堪えきれなくなって上体を浮かした。
膝を曲げて腕を立てると、耳元の直江がクスリ、と笑った。

コイツ―!マジむかつく!
心の声とは裏腹に、身体が反応してしまうのはいつものこと。
首筋は熱を帯びて真っ赤に、口からは吐息が漏れ出す。

「直江っ・・・このGパン、ヴィンテージものだから汚せない・・・」
必死に声を絞って訴えるが、直江は返事をしない。
代わりに、身体を一気に反転させられた。
瞬間、直江と目が合った。

「汚したりはしませんよ」
微笑を浮かべると、直江は高耶の脈動に噛み付いて行った。

「くっ・・・」
上体をよじるが何ともならない。

「・・・分かった・・・から、早く・・・」
「では、早々に切り上げて予約した店にディナー。その後は日付が変わるまで付き合って下さいね」
言い方までマジムカツク。

結局、一発抜かれてまんまとアイツの手にだまされた訳だ。

「アフター5には間に合いませんでしたが、まだまだ時間はありますね」
ニッコリ、という表現がふさわしい笑みで直江はベッドから起き上がっていった。

******

直江が予約した店は、奴に相応しくフランス料理系の店だった。
俺が肩こるの分かっててやってんのか?

一方、直江の方は食事より俺の方を見ているらしい。

「あー、もう。メシに集中できねぇだろうが」
そう突っぱねると、直江はウェイトレスの一人を捕まえて
「箸を二膳お願いします」
と頼んだ。

「・・・おい、別にお前まで付き合うことないだろう?」
「私もこちらの方が食べ易いんですよ」
ナイフやフォークでも、十分使いこなしてそうだけど。

でも、直江が頼んでくれたお陰で堅苦しいフルコースってやつも、いつもみたいに味わって食べられた。
なんだかんだいって、俺のことを気にしてくれている。
こういう空気は、悪くない。

食事を終えて、トイレに立った帰り。
俺たちの席からは見えない位置でピアノとヴァイオリンの生演奏をやっていた。
やけにBGMがうるさく・・・いや、はっきりと聴こえると思ったらコレだったのか。
そうだ・・・。

ちょっと閃いて、俺は思わずにんまりとしてしまう。
アイツ、どんな顔するかな―。

「おや、随分時間がかかりましたね」
「そうか?トイレちょっと混んでたから」
今の言い訳はまずったかな、と思いながらも席についた。
「この後どうします?」
食後の珈琲の、最後の一口を飲み干して直江は俺に聞いてきた。
「もう少しゆっくりしてもいいだろ?」
もう少し。
今の曲が終わったら―――。

10秒ほどして、ウェイトレスさん、いやアテンダントって言うのか?
とにかくさっき頼みごとをした人が目配せをしてくれた。
なんだかこっ恥かしい。

と、聴きなれたフレーズが聴こえてきた。
お決まりのバースデーソング。
直江は気づくだろうか。
チラっと顔を上げてみる。

「高耶さん―」
目が合った瞬間、見たこともないような笑顔で呼ばれた。
「有り難うございます」
たった一言だったけど、その言葉がなんだか嬉しかった。
直江の誕生日なのに。
俺の方が嬉しくなったような気がした―。
直江は全部見ていたに違いない。
俺がトイレから帰ってくるのが遅かったこと、店の人が目配せしてくれたこと。
そして、この店の生演奏が予約した客にだけリクエストを受け付けているということ。

直江は自他ともに認める策士だから、もしかしたら俺の行動を読めていたかもしれない。
けど、さっきの笑顔を見ると案外そうでもないかもしれなかった。

・・・今日だけは、俺の勝ちかも?

「さて、では私からもお返しをしましょうか」
曲が終わって、周りの客からも拍手を貰った直江は、立ち上がり様いつもの余裕の笑みを浮かべて。
ホテルのカードキーをちらつかせた。

ったく、ぬかりの無い奴。

仕事、と言って抜け出していた時間は「お返し」のための準備をしていた訳だ。

レジで「奢ってやる」と言うと、少し考えて直江は素直に「はい」と言った。
なんだ、結構可愛いじゃねーか。
自分で思って、噴出しそうになった。
この図体デカくて口が達者な男が―可愛いだなんて?

そうか、コイツでも誕生日は特別なのかもしれない―――。




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