■彼なりの事情
最近、高耶さんがオカシイ―――。 橘義明こと、直江信綱は悩んでいた。 400年以上連れ添った主であり、最愛の人でもある仰木高耶。 その彼が最近直江に冷たいのである。 数々の修羅場や駆け引きを潜り抜けてきた直江だが、高耶相手にはどうも勝手がきかない。 今まで他人を「好き」になったことはなくても、常に女性に不自由しなかった直江である。 最愛の高耶との同棲も難なくこなせていたつもりだった。 だが、事態は急変したのである。 直江信綱目下の悩みは―「高耶さんがキスを避けるようになった」ということである。 今までも恥かしがって避けることはあったが、今回のはその「仕草」があからさまなのだ。 直江が高耶の顎に手を添えて、自分の方を振り向かせようとしても手で撥ね退けられる。 「高耶さん・・・!」 最初に手を撥ねられた瞬間、直江は凍り付いてしまったほどである。 「・・・悪ィ」 高耶はただ謝罪の言葉だけを残して、その日もそそくさと部屋を出て行ってしまった。 もうそんな日々が、彼是一週間続いている―。 (まさか、飽きられてしまったんだろうか) 自分のテクニックに絶対的な自信を持っている男・直江信綱はもうズタボロである。 今日もまた、二人だけの家に一人残された直江は出社する気も消えうせてしまっていた。 「兄さん、暫く休みます」 長兄の携帯の留守録に、一言だけ告げると直江は意を決したように部屋を飛び出した。 ■□■□ 「で?俺に何を聞きたいって?」 駅前のカフェテリアで、直江はある男に掴みかかっていた。 長身の直江と並んでもさほど遜色のないプロポーションを誇る千秋修平である。 相変わらずのマイペース振りを披露しながら、千秋はニヤリ、といった笑みを浮べて直江を 見返す。 「ははーん、お前、景虎に捨てられたな?」 「何だと?」 一層険悪な顔になる直江を横目で見ながら、千秋は掴まれた襟首を軽く叩いて席に座った。 予め注文していたアイス・コーヒーを口に含む。 「図星を指されると、人間逆カッとなるもんだぜ?」 「うっ・・・」 まさに図星の図星を指されて、直江は言葉に詰まった。 仕方なく、千秋の向かい側に座ってブレンドコーヒーを注文する。 注文を受けたウェイトレスは、直江に頬を赤らめていたが当の本人は気づいていない。 「全く、なんでお前みたいなヤツがモテるんだろうな。俺ほどじゃないにしても」 千秋は前髪をかきあげながら、不満の色を顔に出す。 この率直さが千秋の長所でもあり、短所でもあるのだが。 直江は千秋の様子を焦点の合わない目でボンヤリ見ていたが、コーヒーが運ばれてくると 重い口を開いた。 「長秀、率直に答えてくれ。高耶さんは・・・誰かほかに好きな人が出来たのだろうか」 「出来たんじゃねえの?」 即行そう答えた千秋を見て、直江は真っ青になる。 「やはり・・・そうなのか」 大きな手で自分の膝を掴んでワナワナと震える直江を見て、千秋は「冗談だってば」という その一言が言えなくなってしまっている。 (あちゃー、いつものことなんだろうけど今回はマズったか?) 早くこの場を立ち去ろうと立ち上がりかけた千秋は、思いがけないものを見た。 「おい、直江」 千秋に声をかけられて、顔を上げた直江は決して見たいと願ったことのない光景を見てしまっのだ。 千秋の後ろのウィンドウの向こう側に、なんと女性と腕を組んでいる高耶を見つけたのである。 「マジかよ」 千秋も、まさかと思っていたので唖然としている。 蒼白な顔色と化した直江は、ただただその場に立ち尽くしていた。 ■□■□ 「高耶さんが高耶さんが高耶さんが高耶さんが・・・・・・」 言語中枢までイカれてしまったかのような直江を連れて、千秋は行き着けのバーへやってきた。 「ドライ・マティーニ」 顔馴染みのバーテンダーに注文して、千秋は横に座る陰気くさい男を一瞥すると 「同じものをもう一つ」 と言って深い深いため息を吐いた。 (ほっときゃいいのに。これも性分か?) 自分の人の良さに愛想を尽かしながらも、千秋は横で廃人のような目をした直江を見遣った。 「あーあー、こんなになっちまって。可哀想になあ」 いつもの軽口とさして代わりが無いので、千秋が直江を本気で心配しているかどうかは不明である。 「あら、直江に長秀じゃなーい?」 マティーニを一口含んだところで、聞き慣れた声をかけられた。 「晴家っ、お前なんでここに」 「門脇さまは、当店のお得意様でいらっしゃるんですよ」 ニコやかに答えるバーテンに「そうなのよね〜」と微笑んで、綾子は当たり前のように直江の隣に座った。 「お兄さん、オールド・ファッションをお願いね」 注文を終えると、もう既に酔っている気配を漂わせて、綾子がバシバシと直江の背中を叩く。 「なーに陰気くさい顔してんのよ〜。顔だけは相変わらずイイんだからー」 「お、おい晴家」 千秋は、尋常でない落ち込みようの直江を気遣ってか、一応綾子に声をかけては見るものの 一向に聞いている気配はない。 「そういえばさー、あんた香水変えた?」 直江の顔に鼻を近づけて、綾子はクンクンと匂いを嗅ぐ。 「あれー、変わってないわよねぇ」 変ねえ、といいながら綾子もうお代わりをしている。 「香水が、どうかしたか」 ずっと沈黙したままだった直江が初めて口を開いた。 何か引っかかるものがあったらしい。 直江に凄まれて、綾子もただらなぬ気配を感じとったようで無意識に居住まいを正している。 「なんかね、この間景虎に会ったら香水くさかったのよ。どうせあんたとイチャついてて移ったんだと 思ってたんだけど・・・あれはファーレンハイトだったと思うわ。私、てっきり直江が香水変えたんだと思って」 なんかマズかった?と目で訴えてくる綾子に、千秋は無言で頭を振った。 (こりゃ決定的だな) 「これはこれは上杉の。三人頭を突き合わせて、何のご相談ですかな」 ふいに、背後から声をかけられて千秋と綾子はビクッとした。 しかも、出来ることなら聞きたくない声の持ち主だ。 「高坂、またお前かよ。今日は直江虐めても何も反応しないと思うぜ?」 千秋がヤレヤレといった様子で一気にグラスを空にした。 「これは心外な物の言われようだな。私は直江に教えてやろうと思っただけなのだが」 あえて目的語を言わずに、高坂が直江に意見してくる。 「何か知っているのか、高坂」 憔悴しきっている直江は既に半壊状態で、ひたすら「高耶さんに捨てられた」と繰り返している。 そんな直江を見て嬉しそうな笑みを浮べると、高坂は直江の耳元にその端正で妖艶な唇を近づけた。 「私が目撃しただけでも、景虎殿は4,5人の女性と親密そうにしていたぞ。鵺からもそう報告があった」 高坂は、そう囁くと高笑いを響かせてその場を去って行った。 「直江、あいつの言うことなんか信じちゃだめよ」 綾子が明るく声をかけたときには、もう致命傷を負った瀕死の直江になっていた。 マティーニを一息で飲み干すと、逃げようとする千秋の襟首を掴むと 「今夜は付き合って貰うぞ」 とドスの効いた声で絡んできた。 「はいはいはい、付き合います付き合います。・・・おい、晴家も逃げるなよ」 今度は千秋が綾子の首根っこを掴む番だった。 静かに落ち込む直江に付き合わされることへ覚悟を決めて、長秀と綾子は椅子に座りなおすのだった。 気がつくと、直江は暗闇の中に居た―。 光を求めて彷徨っていると、一筋の光明が差し込むのが見えた。 (高耶さん!) 疑うことなく直江はその光に向かって走った。 だが、光の先に高耶の姿を認めた途端、見えないガラスのようなもので行く手を遮られた。 ―高耶さん、高耶さん! 直江は何度も呼ぶが、高耶には届いていない。 高耶は一人では無かった。 ロングヘアの女が一人―高耶の肩口から長い爪を覗かせていた。 ―あんな男のことなんて無視しましょうよ。 ―貴方には私が居るわ。さあ、来て―――。 女の巧みな誘いに、高耶も悪魔的な微笑を湛えると ―そうだな。あんな男よりも女のお前の方がイイ―。 そう言って女諸共、ベッドに縺れ込んでいった。 ―高耶さん!高耶さん!―――・・・ 「・・・・・高耶さん!!」 汗だくになって直江が飛び起きると、そこは千秋のベッドの上だった。 ダイニングの方を見ると、千秋と綾子がテーブルにうつ伏せになった状態で眠っている。 「夢―か」 直江が胸元のボタンを外しながら額に手を当てていると、 「『高耶さん高耶さん』ってうるせぇんだよ」 と伏せっていたはずの千秋からタオルが飛んで来た。 そのタオルで胸元から首筋、そして額を拭くと直江は前頭葉に鈍い痛みを感じて思わず俯いた。 「昨日、あれから閉店まで飲み続けるお前を引きずって、また今朝方俺の部屋で飲みなおしたんだよ」 いい迷惑だぜ全く―、と文句を垂れつつも千秋はコップに水を汲むと、錠剤と共に直江のところへ 持って来てくれた。 「まずは二日酔い治して。それから景虎んトコ行け―。昨日は家にも帰ってねぇみたいだから、 携帯なり思念波なりで捕まえてな」 「長秀・・・」 直江が礼を告げる前に、千秋はもう綾子の背中を足で蹴りつつ叩き起こしている。 「直江。景虎にきちんとフラれたら、またヤケ酒に付き合ったげるわ」 玄関を出ようとする直江に不吉な言葉をかける綾子を睨みつけながら、直江は駅前へと向かった。 (きっと、いるはずだ―) 直江の思念波は、虚しく拡散するのみではあったが高耶に関する嗅覚だけが、「駅前にいる」という 予測を確信づけていた。 正午―。 昨日千秋と会っていた駅前のカフェテリアで、直江は高耶が現れるのを待っていた。 (必ず、あの人は来る) 組んだ両手を額の眉間に押し当てて念を感じ取り、直江は即座窓を見た。 すると、昨日とはまた違う女と高耶は腕を組んで歩いていた。 (あの女・・・!) 高耶が連れていた女は、昨日直江が夢で見たとおりの女だった。 まさか―。 直江は取り戻しつつあった平静心を一気に崩壊させると、即座に店を飛び出し高耶の元へと駆け寄った。 「高耶さん。一体どういうことですか」 直江の目は、いつになく鋭い。 高耶もそれに気づいたのか、一歩後ずさりつつ口を開いた。 「直江、実は・・・」 「私にもう飽きたのですか」 高耶の言葉を遮るようにして、直江が詰め寄る。 「私のような男を相手にするよりも、女の身体がヨくなったということですか」 「な、お前何言って・・」 「俺を、捨てないで下さい」 「・・・は?」 高耶の横にいた女も、直江の度重なる言動に何かおかしなものを感じ取ったらしい。 高耶から腕をほどいて三歩ほど後ずさった。 直江は目に涙まで浮べて懇願体勢に入った。 「貴方に捨てられたら生きていけない―」 直江は高耶の手を取ると、跪くようにしてかがみ込む。 そして涙で頬を濡らしながら、今度は不遜な笑みを浮べて高耶の手の甲に口づける。 ここまで来ると、どっからどうみても変人変態である。 人通りの激しい駅前は、白昼堂々の、しかも男同士の痴情のもつれにあんぐり口を開く人で埋め尽くされた。 「何?何かのロケでもやってんの?」 通りかかがって面白がる輩までいる。 「貴方がいけない。俺を怒らせるから―」 直江は完全にイッてしまっている。 おもむろに高耶を抱き寄せると、周囲の人垣からどよめきが起こった。 「貴方を失うくらいなら―今すぐこの場で後ろからブチ込んであげましょうか」 直江の、羞恥心を煽らせる言葉に高耶の忍耐力も限界点を超えた。 「お前・・・何言ってるのか分かってんのか?」 「私は、本気ですよ」 次の瞬間。 不敵な直江の笑みに、顔面から高耶のストレートパンチが炸裂した。 「人が大人しく聞いてりゃ散々言いまくりやがって!ここは駅前街だぞ? 公衆の面前でお前は何非常識なコトばっかり言い晒してんだ!たいがいにしろよ」 息を乱しながら、一気に捲くし立てる高耶を見つめ返すと(恐ろしいことにあまりダメージは受けてない模様) 直江はまた一言― 「また廃屋にでも閉じ込めてヤリ殺して欲しいの?」 「〜〜〜!!!」 直江への回し蹴りが決まった瞬間、次の蹴りをしかけようとしていた高耶の腕は突然現れた千秋に掴れた。 「っ千秋!」 千秋は睨みつけてくる高耶を宥めながら、 「お前もたいがい恥かしいぜ。周りをよーっく見てみ?」 「・・・・・・」 今更ではあったが、人並みの羞恥心を持つ高耶は大人しく千秋に従った。 「そこのお嬢さんも。そういうことだから今日のところは諦めて」 千秋に言われて首を縦に振らない女は居ない。 高耶が連れていた女も、そそくさとその場を去って行った。 騒動が一先ず収まったので、周囲の人垣も自然と無くなっていった。 「さーて、ご両人」 千秋に抑えられつつ、二人は不本意ながら再び向かい合った。 「一般人の迷惑になんないところで思う存分喧嘩してくれ。取りあえずお前らの家までは、俺の車で 送ってってやるから」 千秋の車に乗り込んだ二人は、車内で一言も言葉を交わすことは無かった。 「あとは二人でしっかりな―」 千秋は二人を家に押し込めると、一人盛大なため息を吐くのであった。 「・・・俺ってつくづく苦労性だよなあ」 「掛けませんか、高耶さん」 直江はリビングのソファを勧めたが、高耶は一向に動こうとしない。 「高耶さん・・・っ!」 直江は高耶の顎を掴んで振り向かせると、力づくで口付けた。 顎を掴む手に力を込め、無理矢理舌を挿入させる。 もう何日も交わしていない―。 その思いが直江を行動へと駆り立てた。 「・・・くっ」 高耶も黙ってされたままでは無かった。 直江の鳩尾に拳を叩きつけ、更に弱まった舌の動きに噛み付いたのだ。 「た、たかひゃさん。い、痛い・・・」 舌から出血しながら、直江は腹を押えて情けない声を出した。 「信じらんねぇ―」 高耶は呆れたように頭を抱え込み、ソファに勢いよく座った。 直江は、それでもまだ高耶の上に覆い被さろうと近づく。 「何度も同じ手は通用しねぇんだよっ」 ヒラリ、と直江を交わすと高耶は反対側のソファに座りなおす。 「ちょっとは俺の話も聞いてくれよ」 直江の目の前に、人差し指を突き出して高耶は向かい側に座るよう指示した。 今度は直江も大人しく従った。 「なあ、明日は俺の誕生日だろ?」 「―ええ。それが何か?」 飽くまでも直江の声は冷たい響きを持っている。 「何か、って・・・お前いつも俺の誕生日を一緒に祝うために無理してでも休み取ってくれるだろ? だから俺も絶対ほかの人間とは約束しないようにしてたんだ。けど―どうしてもサークルの連中が 大事な総会の日だから休ませる訳にはいかないって。それで・・・」 「それで・・・?」 高耶の真摯な弁明に、直江も幾分穏やかさを取り戻したようだ。 高耶は手を握り合わせると、 「それで、俺は食い下がったんだ。そしたらリーダーが条件次第では許してくれる、って。だから俺・・・」 「あの女たちと寝たんですか」 「何でそうなるんだよ!」 お前の常識だけで物事を考えるなよ、と高耶はこぼして上気した自分を宥めた。 「女子メンバー全員と一日デートをすれば23日の休みをくれるってことで。 お前に話したら絶対止められると思って言わなかったんだ」 「当然です」 「でも、俺は俺の誕生日にお前に祝って貰いたかったんだよ」 微苦笑を浮べる高耶に、直江は一つ詰問した。 「その言葉は、とても嬉しい。ですが、何故私のキスまで避けたんですか?」 「そ、それは」 途端に動揺する高耶に、直江は顔を近づける。 「あー、そうだよ!デートするだけじゃなくてキスもオプションでしろって言われてたんだよ!」 「・・・したんですね」 「うっ。した、って云っても本当に軽く触れたぐらいの―んんっ!」 高耶の言葉は、またしても直江の口によって遮られた。 軽く高耶の口を啄ばんだ直江は、困ったような顔をして 「そんな貴方だから、捨てられたくないんですよ」 「誰が手放せるかよ。こんな躾の悪い犬―」 二人は互いに笑い合うと、再び顔を近づけていった―――。 2003.8.2 *おまけ↓ 「・・・んっ・・あぁ・・・っっ!」 |