■草の庵




その青の薄様を開いたとき、少納言は少なからず息を吐いた。

文にはこう書き付けてあるだけであったからである。

『蘭省花時錦下』
(今頃貴方たちは、尚書省にいて花の盛りのころに、錦の帳の下にいるのであろう)

頭の中将・斉信が少納言に関するつまらない噂を聞いてからここ暫く、
冷たい態度を取っていたのは常に斉信の方であった。
清原の娘・少納言の君には、初春の雨すら鬱陶しく感じられ、終日局に籠もっていた。

少納言と斉信の関係を面白く思う人々からは、
「中将殿は、貴女と語られぬことを寂しく思っておられるそうですよ」と声をかけられたれもしたが、
斉信の自分勝手な言動に振り回されることに少納言は辟易していたのである。

局から重い身体を引きずって参上した頃には、少納言の主である中宮・定子は既に寝所に籠もられていた。
気晴らしに同僚の女房たちと談話をしていたら届いたのが、その斉信からの文であったのだ。

しかも『蘭省花時錦下』とは。

『白氏文集』にある「廬山草堂に、夜の雨に独り宿す」という詩の一節である。
確か第三句であっただろうか。
三十一文字のもてはやされる時代の風潮も手伝ってか、漢詩文も部分的に用いられることが多くなった。

斉信からこのような、知識と機転を試される文を貰ったことで、少納言は複雑な心境に駆られた。

(返事をするのは容易なことだけれど)

少納言がぼんやりと斉信の手蹟を眺めていると、一度は追い返した主殿司が催促のため戻ってきた。

「下の句はどうか」
斉信の挑戦的とも取れる真名を見て、少納言は文の余白に囲炉裏の炭でこう書き付けた。

『草の庵をたれかたづねん』
(こんな草の庵など、誰か訪ねてくれる人があるでしょうか)

この句を見て、あの方はどんな顔をなさるだろうか。
そして中将様と一緒に居るはずのあの方は特に。
少納言はその日初めて、その怜悧な顔に含みある笑みを浮かべた。


結局少納言の応答に対する返事は届けられることは無かった。
斉信が受け取った文に書き付けられた句をのぞき見た、公任の宰相から少納言に同じような趣向の文が届けられたのは、
同じ如月のつごもりのことであった。

雨が雪に変わり始めた頃、その書き付けは少納言の元に届けられた。
いい加減、使いに来る主殿司の顔も見飽きた。
そう思ったことが顔に出ても、御簾や扇で隠せるから女は得だ。

公任の宰相からの文は、懐紙に少し癖のある能筆で書き付けられていた。

『少し春あるここちこそすれ』

(流石は宰相様。時節に合った句だこと)

少納言は空模様を御簾越しに見て、一応の感心をしてみた。
(あの方には、自然なことなのでしょうけれど)

いつも澄まし顔でいる公任の顔を思い出して、少納言は気分を少し悪くした。
公任に対してではなく、公任といつも連れ立っている斉信のことを思い出したからである。

そんなことより。
気を取り直して少納言は考えた。
こんな時に限ってまた宮さまは大殿ごもられている。
きっと宰相たちは、その折りを見計らってこのような座に興じているのだろう。

主上も宮も敬愛してやまない少納言であったが、自分が試されているときに頼りにしたいという気持ちはいつも裏切られてしまう。
(仲が良過ぎるのも困りものね・・・)
下世話な考えを払拭してから、また少納言は記憶の抽斗に手をかけた。

白楽天の『南秦の雪』。
その一節「春有ること少なし」を、公任は「少しは春がある」という裏の意味から「少し春あるここちこそすれ」という
三十一文字の下の句に作り替えて来たのである。
過日、斉信から送られてきた文よりはもう一ひねり応用が必要だ。
それに、斉信のときは応用ではなく―――。

「雲冷ややかにして多く雪を飛ばす」

その句を応用するのが、一番相応しいと少納言はすぐ気づいた。
ただ、原典をそのまま引用したのでは面白味がない。
公任が機転を聞きかせた下の句を作って届けて来たからには、自分も同等のものを作らねば。
そう自負心に火のついた少納言は、「花」の連想を付け加えた。

『空寒み花にまがへて散る雪に』

凍える手でやっと思いついた句を書き付けて、主殿司に文を託した。

後に少納言が人の噂で聞いたところによると、俊賢の宰相などがいたく誉めていたとのことだった。


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「・・・と、こういう次第なのでございます宮さま」

「それは大変なことね。でも、少納言を見込んで中将殿や宰相殿は文を送ってみえたのでしょう?」
後日、少納言は一連の出来事を定子に語って聞かせた。

定子はころころ、と屈託なく笑って憤りを見せている少納言を宥めた。
「貴女ほどの才女にもなると、密かごと以外でも気苦労が絶えないのかもしれませんね」
落ち着いた表情に戻った定子は、もっともな意見で少納言を諭した。
「中将様にしても、宰相様にしても、一方的でいらっしゃることが腹立たしいのです」

ため息を吐く少納言を見て、また定子が笑みをこぼした。

(それにつけても、男の方たちと比べるのも畏れ多いことだけれど宮さまの思慮深く、お優しいことといったら・・・)
聡明な主を前にして、少納言はつられたように自然と微笑んだ。

「相変わらず、仲が良いのだね貴女がたは」

話に花を咲かせていた2人の元に現れたのは、今帝―主上その人であった。

「主、主上」
「少納言の君は、今を時めく殿方たちにもその才幹を見込まれているようなのですよ」

我がことのように少納言を語る定子を見て、帝もまた自然と顔がほころぶ。
「いつも内の大臣や中納言のことばかり褒めそやしている少納言が。珍しいこともあるものだね」
帝は一通りの話を聞き終えて、そう感想を漏らした。

そして、
「ああ、それで・・・」
と独りごちて、途端に訳知り顔になる。

「聡明な中宮も、今回は少納言にしてやられましたね」
破顔して少納言に向き直った帝は、扇を開くと舞い込んで来た枯葉を拾い上げた。

「斉信の中将が、『いみじき盗人を』と言っていたのを思い出してね」
主上の言葉に、少納言は恐縮した。

「主上には、お見通しであられたのですね」
「何か裏があるのですか、少納言」
定子にせがまれる少納言を見て、帝が口を開いた。

「前に、こんなことがあったのだよ」


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いつのことだっただろうか。
とある座で、公任が

『草の庵をたれかたづねむ』

と言うと、忠隆か挙直という蔵人が

『ここのへの花の都をおきながら』

と当意即妙してみせた。


「少納言は、どこからか聞きつけた左兵衛督の句を使ってみせたのだろう?」
顔を真っ赤にして俯く少納言に、
「いつも殿上人や女房たちに問題を出しては、相手の実力をはかってはやり込めている公任を逆手に取った、少納言の勝ちであるな」
そう優しい言葉を投げかけると帝は、定子の耳元でこうも囁いたのだった。

「だいたいあの男は、私の蔵人頭でいた頃から帝の私相手ですら容赦が無かったのだよ。少納言のお陰ですっきりさせて貰ったよ」

帝と定子。
2人の仲睦まじい姿を見ながら少納言は、帝の思慮深さに心の底から感嘆していたのだった。
(もしかすると、どなたからかお聞きになったのかもしれない)
だとしたら、それは一体だれであったのだろうか。

(それにしても、私が公任の宰相さまの句をお借りしたから、文が来たのね、きっと)
意外と大人げない方なのかも―――。
一連の試し文は、少納言の公任に対する人間観が変わった出来事でもあった。

2人の元から退出した少納言は、幾分晴れやかになった空模様を見上げながら自分の心の曇りの落ちた部分を、
また草紙に書き付けようと局へ足を向けたのだった。


<おまけ>

「俊賢殿、あの少納言を奏上して内侍にしよう、などと仰ったとか伺いましたが?」
「これは公任殿。いや、私が面白いと思ったのはあの女房が用いた貴方の句」

俊賢の言葉を遮って、公任は憤然とした調子でまくしたてる。

「それですよ、それ。一体誰が少納言にそれを聞かせたのかということなのだが・・・。おい、斉信!まさかお前ではなかろうな」

通りかかった斉信が、公任に直衣の首根っこを捕まれて会話の輪に引きずり込まれた。

「待て待て、私が最初にあの文の返事を見て驚いたのは知っているだろう」
「それに、貴方のなされたことは別に私たちが広めることもなく口伝えで広まるものですよ」

斉信の意見に同調する俊賢に目を移しながら、公任は、
「それはそうなのだが・・・いまいち釈然としないのだ」
と納得の行かない様子だった。

そしてここに公任、俊賢、斉信の会話を小耳に挟んで一人笑いをこらえる男がいた。

「行成殿、貴方は何かご存じか?」
「いえ、私は今初めてそのようなことを聞いたばかりです」

そう答えて歩いていく行成の肩が震えていたことを、3人は気が付かなかった。


<了>2003.6.27



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清少納言は966年生まれ説が有力なのでしょうか?
だとしたら、公任や道長と同い年ですね(笑)。