『陵王』
「右大臣殿」 自分の官職名を呼ばれ、実資はゆるり、と振り返った。 誰か、などと考えずとも分かる。 「関白殿、ご機嫌ようあらしゃりまして、かたじけのう、おめでとうございます」 実資は振り向きざまに頭を下げつつ形式通りの挨拶をする。 「ご機嫌よう、有難う」 相手も、その通りに返してくる。 関白―左大臣・頼通。 亡き大殿・道長の子である。 実資が顔を上げると、頼通もちょうど顔を上げたところであった。 目線を、心持ち上にして顔を見る。 そうしないと、正面から顔を見据えることが出来なくなってきた。 (老いもいよいよもって盛りに来たか) 心の中で軽くため息を吐き、心を静めた。 「関白さんにあらしゃりましては、いかがなされました」 「貴方を賢人右府と見込んで相談がある」 頼通は、いつになく真摯な顔をしていた。 顔に少し出てきた皺がいつもより深く感じられる。 「お父上に、似て参られましたなあ」 「は・・・」 「いや、耄碌爺の一人言。お気になさらず。で、いかような事であらしゃれますのか?」 「宮中では、滅多な話は出来ぬので・・・申し訳ないが今夜拙宅へお越し願えないだろうか」 その地位に似合わぬ、謙譲の物腰。 「私一人で、宜しいのですか」 「実資一人でなくては駄目だ。今日は日も良いようだから、今からでも同車して来て貰えまいか」 「では、そのように」 「嘉陽門に半刻後。必ず御身一人で」 軽く一礼すると、頼通はもと来た方へ戻っていった。 帝に退出の挨拶に行くのだろう。 実資も歩んでいた方へ向き直り、息を一息吐いた。 空を見上げると、霧のように雨が落ちてきたところだった。 「掻練襲の下襲に黒半臂か・・・。年を取ると昔の事ばかり思い出してしまうな」 実資は一人苦笑すると、資平に言伝をしなければと重く感じ始めた身体を進めた。 半刻後、実資が嘉陽門へ行くと、既に頼通は牛車の中で待っていた。 「遅れて申し訳ない」 下人に助けられながら牛車に乗ると、実資は側面にもたれるようにして頼通と向き合った。 「何、私めも今参ったところ。さて、では出立致しましょう」 広げていた扇をパチン、と閉じて頼通が合図を出すと牛車はギシリ、と音を立てて動きだした。 「かようにこの爺を呼び出されるとは、何か大事があらしゃりましたか」 皮の薄くなった手をさすりながら、実資が尋ねる。 頼通は、鎮痛な面持ちで暫く黙っていたが、目線を上げると 「野馬臺詩」 とだけ言った。 野馬臺詩―奈良時代、吉備真備が渡唐したおり学識を問われて解読したといわれる。 実はこの詩、暗号文になっており簡単に読み下すことは出来なかった。 そこて真備は大和は長谷寺の観世音菩薩に祈ったところ、一匹の蜘蛛が降りて来て 字の上を順に歩いて答えを教えてくれたといわれている―。 「唐の禅僧が作ったとされる詩ですな」 「周知のとおりだ。あの詩の下りを覚えておいでか」 確か・・・ 「百王の流畢り竭き、猿犬英雄を称す。 星流れて野外に飛び、鉦鼓国中に喧し。 青丘と赤土と、茫々として遂に空と為らん―でしたな」 「流石は小野宮殿。そう、それが問題なのだよ」 帝の世は100代で終わる―。 そう解釈出来なくもない。 だが、そんなことは今に始まったものではないはずだが・・・ 「詳細は屋敷で―」 それだけ言うと、頼通はまだ黙って前を向いてしまった。 実資は、その怜悧な横顔を見つめながら4年前に鬼籍に入った道長を思い出していた。 輪無唐草紋様の深黒―いつの間にこの色を着るようになったのだろう。 頼通を見ていると、いつまでも「たづ君」のままのような気がして仕方が無い。 自分が年を取った分だけ、目の前の相手も年を取っているのが当然なのだが 実資にはなかなか実感が湧かない―。 思い出すのは緋色の衣。そして鮮やかな紅色。 「・・・―すけ、実資殿」 肩を揺らされて実資は我に戻った。 また昔のことを思い出していたらしい。 どうやら頼通の屋敷―高陽院に着いたようだ。 「お疲れでいらっしゃったか?」 少し心配そうな顔をする頼通を見て、実資は思わず微笑した。 「なんの。年を取ると昔のことばかり思い出されてな」 「そうか」 と、笑ってそれ以上は追求せず、頼通は御自ら実資の手を取って牛車から降りた。 「相変わらずお優しいことですなあ」 実資は素直に好々爺の顔になっていた。 「少し、庭を歩かれませぬか」 「ご随意に」 頼通の誘いを断れようはずもない。 幸い、今日はまだ身体の調子も普段より良かった。 「北の方はご壮健であらしゃりますか」 「なんとか女主人を務めております」 釣殿の辺りから池を見遣って、ポツリポツリと言葉を交わす。 日常的な会話から、本題に切り替えたのは相談を持ちかけた頼通からだった。 「先ほどの野馬臺詩・・・それに似た神託が下ったのだ」 公務の話となると口調が改まるのは摂政に就任した当時からの癖らしい。 それにしても神託―とは、伊勢からの知らせだろうか? 「斎宮の託宣だ。『降誕のはじめに已に王運暦数定まる。百王の運已に過半に及ぶ』とな」 「朱雀の帝の御時にございましたな・・・日本紀講筵とやらが。 あの講によれば、日の本は『東海姫氏の国』であると?」 野馬臺詩の初句にはこうある―「東海姫氏の国、百世天工に代る」と。 「そうだ。天照大神然り、神功皇后然り」 「古事記にも『百王相続き』とありますが・・・いや、まさか」 野馬臺詩はともかく、古事記の「百王」は「万」と同義のはず・・・ (仏教に傾倒している民心を神宮に戻したいという伊勢側の企みか) 実資は色々と考えあぐねたが、目の前の頼通は深刻な顔をしたままである。 「事の真意はともかくとしまして、公にするのはちと宜しくあらしゃりませんなあ」 実資がそう言うと、 「矢張りそなたもそう思うか」 と答えて頼通は口の端を緩めた。 「ではこれより我ら二人のみの隠り事だ。異存はないな」 「仰せのままに」 実資の返答を聞くと頼通は パチン、 と開け広げしていた扇を完全に閉じると 「夕餉の用意をさせましょう。今宵は一献、お相手して頂けましょうや?」 と安堵の笑みをたたえて言った。 もう口調は、先人への敬意を忘れぬものとなっている。 (こういう所は変わられぬ) そう思うと実資も自然、笑みがこぼれて自分の息子ほどの上役の好意に甘えることにした。 食事の用意が整うと、頼通は側仕えの女房を下がらせ自ら実資に酌をした。 元々あまり酒の強い方ではないので、実資は「形だけ」と盃を受ける。 「寛仁の大饗のときは、実資殿に注いで頂きましたね」 実資が申し出るより先に、頼通は手酌をしながらそう呟いた。 道長が「この世をば」と詠んだあの日は、実資が頼通に注いだのだった。 「あの頃の摂政殿の御子が、今こうして関白さんをやっていらっしゃる。わしもいい加減耄碌するはずですわ」 実資は手を摩りながら、頼通に笑みを返す。 右大臣となってはや十年。 多くの同僚の出家と死を看取って来たが、それでもなお俗世にしがみ付いているのは何故のことか。 たとえば娘―かぐや―のことも気がかりであったが、それ以上にこの息子とも孫とも呼べる年の関白に 対して何か特別な感情があるのかもしれない。 実資の記憶に残る頼通は、まだいとけない姿の頃。 東三条の女院・詮子の四十の御賀の際、頼通(当時はまだ田鶴君と呼ばれていたが)の舞った『陵王』。 その鮮やかな赤色の裲襠(りょうとう)装束。剣印に構えた優美な左手。 十歳とは思えぬ気品を漂わせていた頼通に、実資は少なからず感慨を覚えたものだった。 巌君(頼宗)の納曾利をこそ、皆は褒め称えたものだがそれは舞後の愛想の良さにである。 祝儀を見捨てて楽屋へ戻った田鶴君とは反対に、巌君はご祝儀の衣類を肩にかけてもう一度舞ってみせたのだ。 おそらく舞師匠の思いついた余興だったのだろうが、見物人たちに受けたのは間違いない。 実資には、愛想良く舞う巌君よりも、最後まで気高く舞った田鶴君の舞がより印象に残ったのだった。 その田鶴君が、今目の前にいる頼通なのである。 あの頃の気高さと気品は少しも失われていない。 「恵和の人」と、その気質を謳われる頼通には温和と柔軟さが備わっていた。 父・道長とは似ても似つかない。 実資が頼通に愛着を覚えるのは、それ故かもしれなかった。 頼通の好色な弟・教通にも、また違った意味で愛着があるのだが。 娘の結婚が決まった頃、実資は頼通と同衾する夢を見た。 それを実資は吉事として、日記に記したが何とも不思議な感覚であった。 頼通は側仕えの女房のために香を焚くとも聞く。 およそ権力者には似つかわしくない言動が、より一層その人格に魅力を与えているのかもしれない。 そう実資は思った。 目の前の為政者は、とても穏やかな目つきをしている。 これがあの道長であったら。 今頃、実資の腸が煮え繰り返るほどのことはしていたかもしれない。 「ほんに、良き大臣になられましたな」 惚れ惚れ、という言葉が似つかわしい響きを含めて実資は言う。 頼通もそれを受けて、気恥ずかしそうに「勿体無いお言葉です」と返した。 「実資殿の闊達さをこそ、私は常々見習いたいと思っているのです」 こうも付け加えた。 「いやいや、私は単に好色が過ぎるだけで何も誇れるものはあらしゃりません」 以前、頼通に女好きを逆手に取られたことがある実資は、ことその話題に関しては頭が上がらない。 「いえ、私などは一人の妻だけで充分などと思ってしまう不届き者。父の生前には、よく叱咤されたものです」 「ああ、『男は女がら』というやつですか。亡き大殿の強運の出所は、確かに沢山の御子を持たれたことでしょうな」 そう言った後、実資は少し後悔をした。 子供が少ないのは自分とて同じことだが、関白の地位にありながら御子に恵まれない 頼通の心情を慮ったのである。 「そう、確かに父のやりようは正しいのでしょうね。教通ならともかく、私には到底真似出来るものではありませんが」 困ったように笑う頼通を見て、心が痛まぬ実資では無かったが、なまじ言葉をかけるのも憚られた。 「それでも、私にはこのような生き方しか出来ぬのでしょうね」 自分自身は納得しているのだろうか。 頼通の、その清清しい顔つきを見ていると実資は己の俗世への執着すら救われたような気になった。 頼通とその弟・教通の不和は、権力の方向性を求めて避けられぬ形になってくるだろう。 だが実資は少なくとも自分の命の続く限りは、その傍らで頼通を見守っていたいと、そう思った。 「もう一献、如何ですか」 涼しげな笑みを浮べて、瓶子を差し出す頼通に、自然と盃を差し出す実資であった。 次第に夜も深まり、談話する頼通の声と、ほろ酔いの心地よさも伴っていつしか実資は船を漕ぎ始めた。 こっくり、こっくり、と規則的な揺れを生じながら眠る実資の手からそっと盃を取ると、 頼通は静かに微笑を湛えてその老いた賢人右府の寝顔をそっと見守るのだった―――。 再三汝を憐れぶこと他の事に非ず 天宝の遺民は見るに漸く稀らなり 2003.6.21 |
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
頼通くんも、どうやら寵童が居たようですが実資さんの夢はそれとはまた違った意味でインパクトありますよね。 73歳のじいちゃんが38歳の頼通と同衾ってどうですか(笑)。 最後に載せた漢詩の一説は例によって白居易のものですが(そして出典も例に漏れず『和漢朗詠集』)、 「ねんごろに貴方のことを思いやるのは他でもありません。玄宗皇帝のあの輝かしい天宝の時代の人は皆 居なくなってしまい、世に生き残る人は貴方のほかには稀になってしまったからなのです」という意味だそうで 何となく一条朝の時代を生きた実資さんに当てはまるところがあるかもしれません。 頼通くんから実資さんを見た感じでしょうか。 またこの二人も何か書きたいです・・・(創作でなく、説話の意訳辺りででも)。 ここまで読んで下さった方、有難うございましたvvv |