【公任略年表】 

天皇 元号(西暦) 月日 公任周辺の主な出来事 年齢 一般の主な出来事
後一条 寛仁元(1017) 6.1 公任姉・遵子没(61歳) 52歳 5.9-三条法皇崩御(43歳)
寛仁2(1018) 1.21 摂政頼通の大饗のため、屏風歌選定 53歳 2.9-道長太政大臣を辞す
治安元(1021) 1.28 按察使を兼ねる 56歳
教通室(公任女)二男通基、三女勧子を産む
治安2(1022) 教通室(公任女)三男信長を産む 57歳
治安3(1023) 3.28頃 公任女(遵子養育)没 58歳
10.13 道長室倫子60賀の宴に出席
教通室(公任女)四男静覚を産む
万寿元(1024) 1.6 公任女(教通室)没 59歳
3月 定頼と初瀬詣に出かける
12.10 辞表提出
12.12 辞表が受理され、政治家としての生活に終止符を打つ
万寿2(1025) 1.25 四条宮焼失 60歳
12.16 小二条にて孫・尼君(公任室)らと対面し、最後の別れ
12.19 長谷に籠居
万寿3(1026) 1.4 出家 61歳 1.19-彰子出家
万寿4(1027) 道長、行成の死に際し斉信と贈答歌 62歳 6.13-源俊賢没(68歳)
12.4-藤原道長、藤原行成(56歳)没
長元8(1035) 5.16 関白左大臣(頼通)家歌合せの撰評をするか 70歳 3.23-藤原斉信没(69歳)
6.21 公任妹・ィ子没
後朱雀 長久元(1040) 9月 内裏焼失し、後朱雀天皇・女御生子が二条殿に還御の際
歌を詠み交わす(最後の詠作)
75歳
長久2(1041) 1.1 昼頃、公任薨去 76歳 大江匡房生れる。


<<参へ  <<back to kintou