【公任略年表】 参

天皇 元号(西暦) 月日 公任周辺の主な出来事 年齢 一般の主な出来事
一条 長保4(1002) 2.10 詮子49日法要で詠歌
「誰にとか松をも引かむ鶯の初音かひなき今日にもあるかな」
37歳 6.13-為尊親王崩御
8.18 道長の命により、法華二十八品和歌を詠進
8.29 白河遊覧。道長と贈答歌。
この頃『新撰髄脳』成るか
長保5(1003) 5.15 「左大臣道長歌合」の判者を務める 38歳
5.27 道長の宇治遊覧に同行し作詩
7月 寂照と歌を贈答 8.25-寂照ら入宋
寛弘元(1004) 2.5 頼通春日祭勅使の際、道長と贈答歌 39歳 3.7-干陵の島人来着
3.28 花山院の白河花見に同行し作歌
10月 この頃より籠居
12.15 中納言・左衛門督辞任状上表
12.20 上表を却下される
寛弘2(1005) 4.1 道長と歌を贈答 40歳 『拾遺和歌集』この頃成る
7.21 再度上表→却下され従二位に叙せられる この頃、紫式部出仕
寛弘4(1007) 11.10 教通春日祭使につき、道長と歌を贈答 42歳 3.10-性空没(98歳)
12.25 定頼元服 10.2-敦道親王崩御(27歳)
この頃『金玉集』成るか
寛弘5(1008) 9.15
11.1
12.20
敦成親王(後一条天皇)出産祝いの宴に出席
「万歳千秋」朗詠か
43歳 2.8-花山院没(41歳)
この頃『深窓秘抄』成るか 9.11-敦成親王生
寛弘6(1009) 3.4 権大納言に昇進 44歳 7.28-具平親王没
11.25-敦良(後朱雀)親王生
この年以降、『三十六人撰』『和歌九品』成るか この年、和泉式部出仕
寛弘7(1010) 1.2 子の日の宴の管弦、拍子をとる 45歳 2.20-妍子入内
3.15 石清水臨時祭に道長と贈答歌
三条 寛弘8(1011) 7.17 藤原有国の薨奏に奉仕 46歳
長和元(1012) 2.14 遵子太皇太后に伴い、太皇太后宮大夫になる 47歳 7.16-大江匡衝没(61歳)
4.27 公任長女、道長息子・教通と結婚
12.22 正二位に昇進
『和漢朗詠集』この頃までに成るか(諸説あり)
長和2(1013) 9.16 三条天皇の道長邸行幸の際、拍子をとる 48歳 5.16-藤原高遠没(65歳)
10.6 道長・斉信らと宇治川に遊び、作歌
長和3(1014) 7.16 母・厳子女王没 49歳 8.17-教通室、生子出産
長和4(1015) 8.28 道長・倫子の桂山庄行きに同行し詠歌 50歳 4.26-一品宮資子内親王没(61歳)
9.30 皇太后・彰子のもとで九月つごもりの歌を詠む
10.12 道長の宇治遊覧に同行し詠歌
10月 道長の50賀の屏風歌を詠む
祝宴の席で道長と贈答歌


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