【公任略年表】弐
天皇 | 元号・西暦 | 月日 | 公任周辺の主な出来事 | 年 | 一般の主な出来事 |
一条 | 正暦元(990) | 4.5 | 備前守を兼ねる | 25歳 | 7.2-藤原兼家没(62歳) |
12.25 | 昭平親王の娘(藤原道兼養女)と結婚 | ||||
正暦3(992) | 8.28 | 参議となる | 27歳 | 藤原頼通生まれる | |
長男・定頼生まれる(995年の説もあり) | |||||
正暦4(993) | 1.13 | 近江守を兼ねる | 28歳 | 閏10.20-故菅原道真に 贈・太政大臣 |
|
3.22 | 敦道親王元服の際、理髪役をつとめる | ||||
11.27 | 大原野行幸に供奉せず、一時出仕を停止される | ||||
正暦5(994) | この頃、藤原道信と和歌を贈答か 「春来てぞ人もとひける山里は 花こそ宿のあるじなりけれ」 |
29歳 | 7.11-藤原道信没 | ||
長徳元(995) | 8.28 | 左兵衛督となる | 30歳 | 4.10-藤原道隆没(43歳) | |
9.21 | 皇后宮大夫を兼ねる | 5.8-藤原道兼没(35歳) | |||
11.13 | 新嘗祭に小忌人として神事に奉仕 | ||||
長徳2(996) | 1月 | 讃岐守を兼ねる | 31歳 | 4.24-藤原伊周・隆家配流 | |
9.19 | 右衛門督と検非違使別当を兼ねる | 5.1-定子落飾 | |||
この頃から道長との親密の度合いを深めていく | 7.20-道長左大臣となる | ||||
長徳3(997) | 3.19 | 遵子出家 | 32歳 | ||
4.16 | 藤原斉信とともに道長邸から退出する際、花山院の従者二人に 乱暴される |
||||
9.15 | 遵子の頼忠追善供養に詠歌 「いにしへを恋ふる涙にくらされて おぼろに見ゆる秋の夜の月」 |
||||
長徳4(998) | 1.25 | 肥前守を兼ねる | 33歳 | 11.13-藤原実方、 任地陸奥で没 |
|
10.23 | 勘解由長官を兼ねる | ||||
長保元(999) | 1.7 | 従三位に叙せられる | 34歳 | 3.29-藤原統理出家 11.1-彰子入内(11.7女御) 敦康親王生まれる |
|
閏3.29 | 勘解由長官を辞す | ||||
9.12 | 道長の嵯峨遊覧に同行、詠歌 「滝の音は絶へて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ」 |
||||
10.27 | 彰子入内の為の屏風歌を詠む 「紫の雲とぞ見ゆる藤の花 いかなる宿のしるしなるらむ」 |
||||
この頃、『拾遺抄』成るか | |||||
長保2(1000) | 2.25 | 遵子の皇太后立后に伴い、皇太后宮大夫となる | 35歳 | 2.25-定子皇后、彰子中宮 12.16-定子没(25歳) |
|
長女(藤原教通室)生まれる | |||||
長保3(1001) | 2.5 | 源成信が出家した翌朝、行成が世のはかないことを仰った折、 「思ひしる人もありける世の中に いつをいつとて過ぐるなるらむ」 |
36歳 | 2.4-源成信・重家出家 | |
8.25 | 中納言となる | 閏12.22-詮子崩御(40歳) | |||
10.3 | 右衛門督から左衛門督に移る | ||||
10.9 | 東三条院詮子四十の宴に出席し、詠歌 | ||||
10.10 | 正三位に昇る | ||||
12.7 | 検非違使別当を辞す |